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昔の旅の思い出ばなしあれこれ。たぶんお役には立ちません。

Day 04-06|ブハラ Bukhara

今日は次の目的地ブハラへ7時間かけて列車移動。オーナーさんと美味しい朝食を作ってくれていたお母さんにも挨拶して(毎回たくさん残してすみません)宿を出発し東門へ。東門からヒヴァ駅へはきれいに舗装された道路をひたすら一直線に進むこと約15分。駅周辺には柵が張り巡らされており、保安検査の建物を通らないと構内に進めませんでした。チケットとパスポートを見せてホームへ。


事前にウズベキスタン鉄道のサイトでチケットを購入しておいたのですが、その時には良さげな席はほぼ売り切れ。一番ランクの低い車両の、しかも上段に乗ることになりました。そう、この列車、日中走る癖に何故か寝台車両なのです。まあなかなか無い機会だしそれも面白そうと余裕かましてました。実際に席を目にするまでは。


ベッド狭くないか。しかもよじ上るために用意されているのはステップ1つのみ。一旦上がると上半身を起こすこともできないレベルの狭さで寝転んでいるしかないという。しかも上段客の荷物置き場はそのベッドのさらに上。小さなキャリーとリュックだったのでなんとか頑張りましたが、大きなスーツケースだったら背も届かないしかなり無理無理無理。列車が動き出す直前に枕カバーとシーツ類が配られましたが寝転んでしまっていたので今更セッティングし直すのも面倒で適当にくるまって寝ることに。道中は通信環境が不安定なせいかスマホのバッテリーが結構な勢いで減ってしまい焦りました。持っててよかったモバイルバッテリー。せっかく宿の人が持たせてくれたパン類もこの姿勢では食べられない。また、空調も無いため結構暑い。かなり暑い。途中トイレに行くために車両を突っ切りましたが満員状態でカオス。いや、インドの寝台列車に比べればこれぐらいきっとかわいいものに違いないと自分に言い聞かせました。インドの寝台列車乗ったことないけど。なかなかの苦行な7時間でした。


やっとブハラ到着。ぼったくられずに事を乗り切る自信がゼロなので、事前に手配をお願いしておいたタクシーで宿へ。BGMは何故かABBA。沈黙に耐えられず、かろうじて知ってるロシア語でハラショームジカハラショー(適当)と時々合いの手を入れているうちに到着しました。オープン間もない小さなホテルで旧市街メインエリアから歩いてすぐの好立地。夜になると静まりかえっていたヒヴァに比べると、ブハラは土産物屋やレストランもまだまだ開いていて人通りも多く、だいぶ華やかな感じです。


今夜はトルコからのゲストからのふるまいターキッシュ・シャシリク(つまりはトルコのシシカバブシャシリクは旧ソビエト圏で広く食べられている肉の串焼き)が食べられるよと言われ屋上テラスに行ってみると、テーブルにはシシカバブ、サラダ、パン、お茶がきれいに並べられており、これ無料でいいの⁉︎ しかも食べ終わるとおかわりがすぐに盛られてわんこシシカバブ状態。列車移動の疲れを癒す思わぬご褒美に大満足の1日の締めとなりました。写真はテラスからの眺めです。最高。

 

明けて翌日。徒歩でまわるのに距離感がわからなかったので、途中見かけた観光案内所で聞いてみました。
私「イスマーニ・サーマーニー廟まで歩いてどれぐらいですか?」
観「ノォーーー! めっちゃ遠いですよ! 歩くなんて無理無理無理! タクシーツアーどうですか? 紹介しますよ! ◯◯◯◯スムですよ!」
→ 結論:歩けました。確かに結構な距離ですが、普段からよく歩いてる元気な人ならば問題ないかと。あんなに押しの強い観光案内所は初めてだったので、間違えて違うところに足を踏み入れたのではないかと看板を二度見しました。
何世紀にもわたって破壊と再建を繰り返してきたという広大なアーク城からスタートし、小さな池のほとりに建つ憩いの場ボロハウズ・モスク(“ハウズ”は池の意味だとか)、旧約聖書に由来をもつチャシマ・アイユブを経てイスマイール・サーマーニー廟へ。

アーク城前で見かけたウズベキス隊。

1920年ソ連赤軍に砲撃を受けたモスク跡。

ところ変われどやることは同じ。


シックなのに華やかでお気に入りモスク上位ランクイン。

イスマイール・サーマーニー廟。小さいけど中央アジアに現存する最古のイスラム建築だそうです。この石組みの美しさよ。


不思議と似ているナンとマンホール。

 

ここまで来たらあとは引き返すだけ。チャシマ・アイユブのすぐ側にある観光客向けっぽくないバザールや道端にゆるい感じに並べられたおみやげをひやかしながら歩きます。中心部まで戻ってきたのでまずは腹ごしらえ。喉が渇き過ぎてビールをマッハの勢いで飲み干したあとの、

ラグマン。大根らしきものも入っていて、まさにウズベキスタン版しっぽくうどん。讃岐人大歓喜。ただ、ここのはパクチーがちょっと多過ぎでした。

午後の部再開。Googleマップに導かれて、住宅街を突っ切ってチョルミナル(写真奥に見える4本のミナレットが特徴の門楼)へ。帰りは大通りから戻りましたが、家々を眺めながら歩けるこちらの住宅街ルートの方が断然おすすめです。余談ですがウズベキスタンを旅行中、店名に「Minor」と付くのをよく見かけてなんで“マイナー”って単語が人気なんだろうと思っていたら、Minorがミナル(ミナレット:尖塔)であるということを今初めて知りました。チョルミナル向かいのアンティークショップはとてもおすすめです。

このモスクワ五輪キャラクターのこぐまのミーシャがほしかったけど、値段を聞いたら1万円超えでした。ウズベキスタン、値札という概念が無いのかこのお店でもどこのお土産屋さんでもいちいち聞かないと値段がわからなかったのがちょっと面倒でした。
中心地に戻ります。目指すはラビハウズ。

途中見かけた靴の修理屋さんのディスプレイが好きだ。

ブハラ旧市街の中心地ラビハウズ。さすがの賑わいでここから宿へ戻る道中にはお土産屋さんも多く、ついキョロキョロしてしまう。そして売り子さん皆押しが強い。断るだけで結構な疲労感。

そんな中見つけたフォトギャラリー。話しかけられることもなく鑑賞できて、おみやげにぴったりのポストカードや手作りの鳥笛などをじっくり選ぶことができました。

雨が降ったらどうするのだろうと、見かける度に考えてしまう。

夜は宿のスタッフが絶対おすすめ! というレストランに行ってみました。中心地は観光地価格で高いからローカルレストランに行くべきだ、と主張されましたがかなり離れた場所にありタクシーの往復料金を考えたら特にお得ではなかったような。ただ、シャシリク(もちろん羊をチョイス)もマンティ(写真の巨大茹で餃子みたいなの。クミン風味 with ヨーグルト)も確かに美味しかった! 私と同じようにあちこちの宿から送り込まれたのか、所在無さげにしている一人旅らしき欧米人ツーリストが点々とあちこちのテーブルにいたのが印象的。

レシートがそこにあるのは定位置なのか。

食事の帰りはラビハウズ周辺で降ろしてもらって、再び散策。暗くなってもやはり賑やか。ストリートミュージシャンもいたりして、上機嫌で宿まで戻り、いい1日だったと眠りにつきました。

が。

深夜猛烈な胃痛と吐き気に襲われ、持参の胃薬を飲んでも治らない。お腹もゆるくて何度もベッドとトイレを往復し、とうとう眠れないまま朝を迎えてしまいました。その日は次の街に移動の予定でしたが、起き上がることもままならないのでベッドからメールで宿の人に延泊をお願いすることに。心配して持ってきてくれた朝食にも手をつけられない私を見て(というかたぶんすっぴんでボロボロの私が本当にやばかったのだと思う)、なんと救急車を呼んでくれました。旅行保険に入っているとはいえ、今私現金持ってない! とかなりあせったのですが、呼んでくれたものは仕方ない。覚悟を決めて待つ事しばし。

3名の女性医療スタッフが到着し、病院へ行くのかと思ったらその場で診察。熱が8度5分以上あり(懐かしの水銀体温計)血圧が異常に低いと言われ、男性スタッフを部屋の外に出したと思ったら注射をプスプスプスっと打ってくれました。お尻に3本。差し出されたスマホGoogle翻訳の画面には「おそらく風邪です」、続いて「そしてあなたはたくさん食べることを要求しすぎました」と書かれていました。反論の余地なし。「今日はずっとベッドにいて熱いお湯を飲んでください」と念押しして帰って行かれました。驚いたのが、こちら無料とのこと。国のそういうサービスだと宿の人は言っていましたが、お互い拙い英語での会話なので詳細不明。いずれにせよ、宿の皆さんにも医療サービスの方たちにも大変お世話になってしまいました。みんなやさしい。せっかく用意してくれた夕食もパンチがありすぎてまったく食べられず、今でも心から申し訳なく思っております。ブハラのどこかで不義理な日本人の話が語り継がれていたらそれは私です。すみません。

買ってきてくれた胃薬と吐き気どめと解熱剤。さすがに代金払いました。

Day 03|ヒヴァ Khiva

ヒヴァの朝。前日にお願いしていた時間にあわせてテーブルに素晴らしすぎる朝食が並べられていました。全貌が無くて申し訳ないですが、この横に結構どっしり大きなクレープ?が4枚、見切れていますが甘い菓子パンが4つ、そして左側に蜂蜜・コンポート・ジャム・サワークリーム・カッテージチーズ・練乳のような甘いクリームが美しく盛られたお皿、そして背後にはフルーツ・ナッツ・ドライフルーツとコーヒー・紅茶・お茶と、一人分とは思えない気前のよすぎる量です。この写真中央の薄い生地にひき肉やじゃがいもを包んで揚げたパイ状のものがとにかく美味しくて、かなり大きい(横にしたiPhoneよりまだでかい)のについつい食べてしまいましたがやはり完食は到底無理。かなり残してしまって大変申し訳なかったです。

で、朝から散策に出かけることに。宿を一歩出ると茶色い世界。そう、ここは城壁に囲まれた18〜19世紀の街並みがそのまま残っているヒヴァの旧市街“イチャンカラ”。世界遺産の街です。まずは宿から最寄りのゲート・東門に向かって各施設共通入場券を購入。
※城壁やミナレット(塔)に上るのは別料金が必要。

ここまでイスラム文化の色濃い街を旅行するのが初めてなのでとても新鮮。

柱に、扉に、至るところに施された木彫り細工にはただただ敬服。こちらは213本の木の柱が立ち並ぶジュマモスク。

さて、ざざっとメインストリートを東門から西門まで突っ切って城壁の外に出て、ヌルラボイ宮殿を見に行きましょう。

気の抜けた標識。

不思議な石組。

素敵な看板。

 

などとキョロキョロしながらGoogle マップの示す通りに15分程歩いて宮殿に着いたのですが、あれ? イチャンカラの城壁がすぐそこに見える。地図をよく見てなかった自分が悪いのですが、ものすごく大回りさせられてました。帰りは歩いて数分でした。

宮殿は建物そのものも美しい上に、『KHOREZM  in the photographs of the XIX-XX centuries』というタイトルのこの地域(ホラズム)の19-20世紀頃の写真展示もあり(常設展?)かなりの見応え。
ただ迷う。一体どのドアを開けてどこに入ればいいのかとても迷う。
途中同じく一人旅のオランダ人と少し会話する機会があったのですが、お互い旅行前に語学アプリDuolingoで2カ月間ロシア語を勉強したという共通点がありちょっと盛り上がったり。

古い写真をいろいろ見ていると写真集がほしくなったり。

好きな壁紙。向こうの部屋も同じ壁紙。

アート作品ではなくたぶん普通に道具置き場。

 

さて、一通り見て回ったので、再びイチャンカラへ。朝は寒いが、昼は暑い。まずは喉を潤さないと。

テラスは欧米人旅行者たちに陣取られていましたが、それでもなかなかいい眺め。

この地方の名物料理だというシュヴィト・オシュを注文。ディルの練り込まれた麺にサワークリームとグヤーシュっぽいトマト煮込みソースをかけて食べるというもの。美味しかったのですが(ディル大好き)、麺に対してソースが少な過ぎて最後味が足りなくて困りました。

 

そして再び散策へ。

何回も同じところを歩いては同じところで感動して同じ様な写真を撮りまくってしまうという。

旅全体を振り返ってみると、ヒヴァには他の都市とちょっと違ったグッとくるお土産が多かったような気がします。しかし西門付近で2カ所発見したATMがいずれもエラーで使えず、手持ちの現金がほとんど無かった私。指をくわえて見てました。

ウズベキス犬。

途中同じく一人旅っぽい日本人女性に「私はいったい今どこにいるんでしょうか」と声をかけられました。自信満々に現在地を教えてあげましたが、あとでよく地図を見ると全然違ってました。あの時の方、嘘ついてどうもすみませんでした。

体力的に塔にのぼる自信はなかったので、せめて代わりにと追加料金を払って城壁を歩く。

日常生活を覗き見。

この城壁巡り、高いところ好きなので気持ちよかったのですが、北門からスタートして一周ぐるりと回れるのかと思ったら“さあ、ここから見どころだ!”というところの手前で行き止まりになっていて引き返さないといけないのがちょっと残念でした。
下界に降りるとだいぶ空気も冷えてきて、団体観光客が帰ってしまうからか、レストランやカフェはことごとく営業時間より早くクローズしてました。

そしてヒヴァの夜はふけていく。

Day 01-02|タシケント Tashkent

今回は10:50発のアシアナ空港で韓国へ飛び、そこで乗り換えて(約4時間待ち)ウズベキスタンに向かうルートだったのですが、予定通り現地に20:20に到着したのはよかったけれどそこから空港を出るまでにえらく時間がかかってしまった。まず、預けた荷物が出てこない。ほんとにいくら待っても出てこない。検索したら同じような目にあった人がちらほら見られたので、日常茶飯事なことなのだと思われます。で、SIMカードカウンターには長蛇の列。この記事にも書いた通り、SIMカード→ATMで私は個人的になんやかんやとトラブルがあったのでそこでさらに時間が過ぎ、ようやく両替とタクシーの手配を済ませてホテルに着いた時には23時をまわってしまってました。4時間の時差なので超長い1日。

ホテルは外観の写真を見た時からぜひ一度泊まってみたかった、その名も“ホテル・ウズベキスタン”。いつもの私の宿の予算よりはお高めだったけど、地下鉄の駅も観光名所も近そうだしたまにはいいよね。深夜のガラーンとしたロビーからウェス・アンダーソンの映画に登場しそうな味のある薄暗い廊下を進んで、部屋に入ってみたらこれがまたいい感じのくたびれ具合。棚(に見せかけた配電盤隠し)の扉は歪んでちゃんと閉まっていないし、シャワールームはどこのゲストハウスだよという感じのシンプルさ。うん、こういうの嫌いじゃない。ソ連時代のノスタルジーに包まれながらその日はあっという間に眠りにつきました。

話は変わりますが、“Hotel Uzbekistan”という4人のスケートボーダーがひたすらウズベキスタンのあちこちでスケボーしてるオーストリア発の短編ドキュメンタリーを見つけました。見てたら酔いました。映像がきれいなのでお時間あればぜひ。

www.redbull.com

あっという間に翌朝。朝食付プランでしたがこの日はどうしても行かなければいけない場所があり、敢えて朝食をとらずお腹を空かせたまま出発することに。最寄りの地下鉄駅ではシステムがわからずにオドオド。間違えて出口から入り注意されてしまいました。流れとしては、入り口から入る→窓口でチケットを買う→手荷物検査を受ける(かなり適当)→チケットに印字されたQRコードをかざしてゲートをくぐりホームへ。このQRコード付チケット(というかレシート)、ウズベキスタン中のミュージアムや観光名所などあらゆるところでこのシステムが採用されており、旅の記念になるような印刷されたチケットをもらえることはほとんどありませんでした。蒐集家泣かせです。途中乗り換えて、駅から歩くこと15分程度で目的地到着。

どん。

レストランなのにタシケントが誇る一大観光地にもなっている、Besh Qozon。ウズベキスタンの郷土料理“プロフ”が食べられる(というか別にどこでも食べられるんですが)有名どころです。食事スペース隣にある調理スペースではびっくりするぐらいの大鍋がいくつも並んで、何人前あるんだろうと思わされるプロフがほかほか湯気をたてて作られています。観光客もたくさん大鍋を取り囲んでいて結構カオス。蓋の代わりに大皿をたくさん被せて炊飯しているのですが、うん、覆えていない箇所が多過ぎて本当に大皿が蓋の役目を果たしているのかどうかは不明。


そして着席して料理をオーダー。メニューがなくほぼ誘導尋問のような形でメニューが決まったのですが、ウェディング・プロフ+オプションのうずらの卵と、トマトと玉ねぎのシンプルサラダ・アッチクチュチュク(最後までこの名前が覚えられず)。美味しい! 以前羊肉に嵌った頃に塊肉を手に入れてプロフ作りに挑戦したことがあったのですが、にんじんの味が違う! 黄色いにんじん、あの独特の匂いがなくて甘い! ナン(パン)を付けなかったのでスモールではなくレギュラーサイズをお願いしたのですが、割とペロリといけました。最後の方はちょっと脂が苦しくなってきたけど、そこはサラダとお茶でひたすら流し込む。ホテルで朝食を食べていたら、きっと完食は無理だったことでしょう。プロフ+サラダ+お茶で52640スム。665円ぐらい。毎日は無理でも週に1回ぐらい食べたい。さすが大型店だけあってクレジットカードが使えました。

満腹になったので、次は地下鉄でチョルスーバザールへ。
ソ連時代に作られた地下鉄はそれぞれの駅ごとに異なるデザインのホームとなっており、アートスポットとしても大人気。少ししか見られなかったけど、その評判も納得の美しさ。結構レトロな車両もまだまだ走っており、これがまたいい味なのです。

チョルスー駅で下りれば、もうすぐ目の前からバザールが始まっています。かなりの方向音痴な上にとにかく敷地が広くて、メインの建物にもなかなか辿り着けず。

2階建のメインの建物。とにかくお店がびっしり。ここにたどり着くまでにもお店がびっしり。


剥き出しのまま積み上げられたビスケットが売られているのがなかなか斬新。


ナンコーナー。焼いてるところが見られるかまどスペースもすぐ近くに有り。


ベッド脇に置いたら絶対うなされるやつ。


正体がわからなくてもとてつもなく甘いんだろうなということは伝わってきます。

ドライフルーツ・ナッツ好きにはまさに天国。アゼルバイジャンと書かれたユニフォームを着たおじさん軍団がきゃっきゃと言いながらびっくりするぐらいの量を買い込んでいました。


食堂コーナーで見かけた腸詰め? 挑戦する勇気も胃袋の余裕もなく。

本当にこのバザールは広くて、扱うものも食べ物からおみやげ、貴金属、植物、雑貨までなんでもござれ。じっくり見てたら数時間はかかりそうでしたが、夕方には空港に行かなければいけなかったので後ろ髪を引かれながら地下鉄の駅に向かいました。

が。

迷いに迷ってなかなか駅に辿り着けませんでした。おそるべし、チョルスーバザール。同様に迷っていた欧米系旅行者と助け合ってなんとか到着。せっかくなのでティムール像でも見ていくかと、一駅手前で下りて公園を突っ切ってホテルに向かうことに。像のある広場まで続く道路は歩行者天国のようにたくさんの露店が並んでいて、射的や卓球コーナーなどもあり、老若男女皆楽しんでいました。いいねぇ。

ホテルで預けていた荷物を受け取って、配車アプリMyTaxiで空港までのタクシーを手配することにしました。初めて使うので緊張しましたが、あっけないぐらいにすぐタクシーが来て料金も明朗会計。なんて便利。こじんまりとした国内線ターミナル。小腹が空いても出発ゲート横にこじゃれた軽食カフェがあるので安心です。メニュー表記はすべてロシア語でしたが。
タシケント - ヒヴァのチケットはウズベキスタン航空のサイトで購入したのですが、2週間ぐらい前だと安い席はもう売り切れていてこの国の物価からするとかなり高価なビジネスクラスしか残っていませんでした。しかも円安。泣ける。安価な寝台列車も一瞬考えましたが、時刻表を見ると14〜15時間の旅。体力に自信がなかったのであっさり却下。人生初のビジネスクラス、超快適シートだったことだけが救いです。

30分以上遅れて21時半過ぎにヒヴァ到着。そしてここでも荷物がなかなか出てこない。お迎えタクシーをお願いしていたので大変申し訳なかったですが、なんとかドライバーさんと合流して今夜の宿へ。到着したのはまだまだ新しい小さなゲストハウス。挨拶もそこそこに、部屋に入ったらまた速攻で寝落ちしてしまいました。

 

ウズベキスタン旅行の反省点もろもろ


急にウズベキスタンに行きたくなって、行って帰って早数日。
いろいろ書きたいことはあるのですが取り急ぎ私のような無計画な方にお伝えしたいことを取り急ぎ。

Yandex Goの登録は出発前に!!!

どうやら現地を旅行するにはロシア発タクシー配車(ケータリングなどのサービスも)アプリ「Yandex Go」が必須との情報をちらほら横目で見てましたが、まあ向こうに着いてからなんとでもなるだろうと思っていたら、なんともなりませんでした
アプリを使うには電話番号を登録してSMSで送信された認証コードを入力するのが必須なのですが、何をどうやってもSMSが届かない。キャリアはUQ mobileです。ためしに日本の知人からSMSを送ってもらっても受信できたしその他日本企業からも普通にSMSが来ていたし、空港でちょっとお話させてもらった日本の方は普通にその場でYandex GoからのSMSを受信できていたので、これはもはや相性の問題? でもタシケントの空港でフリーWiFiを使う時にも認証用のSMSを受信できなかったし、とにかく日本以外からのSMSがダメっぽい。ちなみに帰国してからは普通に国外からのSMSを受信できております。これまで海外に行ってもなんの問題なく国内外からのSMSが使えていたのでよもやSMSを受信できないという事態が起きるとは全くの想定外でした。
自分の電話番号でできないなら海外の電話番号だ、ということでイギリスの電話番号がもらえるeTravelSIMというeSIMを購入してみましたがやっぱりダメでした。道中出会ったオランダ人が、ロシアへの経済制裁の影響でEU圏内の電話番号はすべてYandex Goから弾かれると教えてくれて、あれ?イギリスはEU離脱しなかったっけ? と思いましたが、親ウクライナか否かという括りなのでしょうか。
しかし唯一の救い、同じくタクシー配車アプリのMyTaxiはこのイギリスの電話番号で登録できました(ただしタシケントでしか使えない)。認証コードをようやく受信できた時のあの感動よ。eTravelSIMは容量の追加購入ができず新しく買い直すことになるので電話番号が変わってしまうのですが、MyTaxiのアカウントは作り直さなくても古い電話番号のままで使用可能でした(ドライバーと電話する必要に迫られた時は問題があるかも ← そんな機会たぶんそう無い)。
サマルカンドで使えるというアプリTaxiOKは、残念ながらウズベキスタンの電話番号しか登録できない仕様になっていました。私は試してませんが、現地で電話番号をもらえるSIMを購入すれば万事解決なのかもしれません。
ちなみに私と同様Yandex Goが使えない場合、タシケント到着時は空港内でタクシーを手配すれば安心です。距離によって料金が変わるようですが、私の場合100,000スム(1220円ぐらい)をカウンターで払ってレシートを受け取り、空港の外で待ち構えている係の人にそれを渡してタクシーを見繕ってもらうというシステムでした。後にMyTaxiでタクシーを呼んだ時は空港まで29,000スム(355円ぐらい)だったので確かに割高ではありますが、白タクにぼったくられるよりはずっとマシなはずです。

いつでも手元に現金を!!!

私はあまり現金を持って行かずにATMから自分の預金を下ろす形で現地通貨を調達する派なのですが、これが今回あまりうまくいきませんでした。まず、最初の空港でATMがエラーになって使えない。その後も同じ銀行?のATMとは相性が悪くことごとくエラーになり(その他のATMはOK)、またヒヴァでは見つけた2カ所のATMがどちらも紙幣切れで使用不可だったり、サマルカンドでは街全体が朝から晩まで停電になりATM(クレジットカードも!)が使えないなど、大抵ほしい時に限ってATMが使えずいかに現金を調達するかしょっ中頭を悩ませていたように思います。救いはUSドルを幾らか持っていたこと。足りない分はUSドルで補ったり(多少損はした気もする)、USドルで払ってお釣りをUZスムでもらったり。最初に日本円をUSドルに両替する際はできるだけ少額紙幣を多く用意してもらうと、そういう必要に迫られた時に使えて良いと思います。ヨーロッパでは割と頻繁に見た気がする両替所もウズベキスタンではまったく見かけませんでした。空港以外で唯一USドル→UZスムに両替してもらったのが、サマルカンドのショブバザール入口前にある観光案内所。お礼のつもりでステッカーを買ったのですが、インクジェットプリンターで自分で手作りしたよね、という感じのクオリティだったのもそれもまた一興。予約サイトでクレジットOKとあるホテルも行ってみると結局機器トラブルで現金でしか払えなかったり、カードが使えるところは増えてきているそうですが地方はまだまだな感じでした。

SIMのレビューはあくまでも参考までに!!!

せっかくiPhoneではeSIMなるものが使えるのだから旅行前に準備しておこうと、あれこれ検索して出発前にAiraloをインストールしておきました。大手らしいし、他人様のクーポンコードを利用して割引あり、しかも使用ネットワークは現地メジャー通信会社のBeeline。なんの心配も無かろうと思っていましたが、これが非常に繋がりにくかった。どのレビューを見てもAiralo最高!みたいな感じだったので、これも私の機器やOSの相性の問題かもしれません。前述の通り電話番号問題でeTravelSIMを現地でインストールしたのですが1GBしかないプランだったため、できればメインはAiraloで必要な時だけeTravelSIMという使い方をしたかったのですが、結局ほとんどeTravelSIMを使うことに。しかもeTravelSIMも帰国日前日に容量が足りなくなり、結局1GB追加購入する羽目になりました。eTravelSIM、接続もサクサクだしタシケントではさんざんMyTaxiのお世話になったし言う事なしなのですがいかんせん高い(1GBで$10.99)。使ってみないとわからないことだらけ。ちなみに空港でYandex GOからのSMSが受信できないことにあせってその場でUcellの物理SIMを購入してみたりもしましたが、結局使いませんでした。確か50000スム=600円ぐらいだったかと思うので勉強代と自分に言い聞かせております。
とはいえ今回の旅行で思ったことは、とにかくeSIM便利!今回はじめてSIMフリーの端末を持って旅行したのですが、ひたすらWiFiのあるところを探しながら移動していた時代が嘘のよう。

いつでもあると思うなお湯と電気!!!

それなりに覚悟はしていたつもりでしたが、やはり日本の感覚でお湯を期待すると時々痛い目に遭います。ブハラのゲストハウスではぬるま湯でシャワーを浴び(その後風邪を引いて熱が出た)、サマルカンドではシャンプーを流す途中でお湯が尽きて水になりました。また、同じくサマルカンドでのある日、朝8時半に起きた時は既に停電で復旧したのはなんと18〜19時頃(外出していたので正確な時刻は不明)。現地の人もここまで長いのはそう無いと言っていましたが、朝シャワーを浴びようと思っていたのにそれも叶わず、ATMもクレジットカードも使えず、ベタベタの頭でなかなかにハードな1日となりました。高級ホテルの前を通った時、自家発電でちゃんと電気が点いていたのを目にして結局この不便さも懐次第かと。

 

こう書くと苦難だらけの旅だったようにも思えますが、ウズベキスタン! とても楽しかったし見応えあるスポットがてんこ盛りでした。

2023.10 ウズベキスタン概要

10月中旬から9泊10日でウズベキスタンに行ってきました。時間が足りず行けなかったところは多々ありますが、ウズベキスタン初心者には長すぎず短すぎず、ちょうどいい日程だったように思います。
周囲からはどうしてウズベキスタン? とよく聞かれましたが、胸をはって言えるような大した理由はありません。最初のきっかけは、昔海外でうどん恋しさにたまたま入ったウズベクレストラン(店の前に麺料理“ラグマン”の写真があった)がとても美味しくてお店の人も感じがよくまた店内に飾られていた現地の写真がとてもきれいだったこと、そのあと羊肉に嵌ったこともあり常々思う存分羊を食べられる場所に行きたいと思っていたこと、読んだ漫画「乙嫁語り」の舞台があの辺りだと知って刺繍文化に興味を持ったことなどなど。しかし何より、とにかく長いコロナ期のあと、遠い知らないどこかへ行ってみたかったというのが一番です。
結局は体調を崩したりであまりウズベキス飯を多くは満喫できなかったのですが(加齢のせいもある)、やはり何を食べても美味しかった。再訪してみたい国の1つになりました。

Day01 関西空港 → ✈︎ → 仁川空港/韓国 → ✈︎ → タシケント/ウズベキスタン
Day02 タシケント→ ✈︎ → ヒヴァ
Day03 ヒヴァ
Day04 ヒヴァ →(列車)→ ブハラ
Day05 ブハラ
Day06 ブハラ  ※この日移動のはずだったのが急病により1日寝込んだ 
Day07 ブハラ →(列車)→ サマルカンド
Day08 サマルカンド
Day09 サマルカンド →(列車)→ タシケント
Day10 タシケント→ ✈︎ →
Day11 仁川空港/韓国 → ✈︎ → 関西空港

はじめに

先日ものすごく久しぶりに海外に出かけました。時勢的に旅行どころじゃなかったというのもありますが、コロナとほぼ時を同じくして就職しそれまでのフリーランス生活から一転・自由に時間を使えなくなったり、そもそも収入が激減して就職したので懐的に旅行どころじゃなかったり、何より加齢で気力・体力も日々落ちているのを実感していたり。
そんな中、今回思い切って出かけられたのはとてもよかったのですが、同時に再びこんな旅ができる機会が今後あるのだろうかとちょっと切なくなってしまったので、そう気軽に出かけられない分しばらくの間は思い出を反芻して楽しむことにしました。そんな感じで前向きなのか後ろ向きなのかわからない、とりあえず古い話ばかりのただの記録であります。