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昔の旅の思い出ばなしあれこれ。たぶんお役には立ちません。

Day 04-06|ブハラ Bukhara

今日は次の目的地ブハラへ7時間かけて列車移動。オーナーさんと美味しい朝食を作ってくれていたお母さんにも挨拶して(毎回たくさん残してすみません)宿を出発し東門へ。東門からヒヴァ駅へはきれいに舗装された道路をひたすら一直線に進むこと約15分。駅周辺には柵が張り巡らされており、保安検査の建物を通らないと構内に進めませんでした。チケットとパスポートを見せてホームへ。


事前にウズベキスタン鉄道のサイトでチケットを購入しておいたのですが、その時には良さげな席はほぼ売り切れ。一番ランクの低い車両の、しかも上段に乗ることになりました。そう、この列車、日中走る癖に何故か寝台車両なのです。まあなかなか無い機会だしそれも面白そうと余裕かましてました。実際に席を目にするまでは。


ベッド狭くないか。しかもよじ上るために用意されているのはステップ1つのみ。一旦上がると上半身を起こすこともできないレベルの狭さで寝転んでいるしかないという。しかも上段客の荷物置き場はそのベッドのさらに上。小さなキャリーとリュックだったのでなんとか頑張りましたが、大きなスーツケースだったら背も届かないしかなり無理無理無理。列車が動き出す直前に枕カバーとシーツ類が配られましたが寝転んでしまっていたので今更セッティングし直すのも面倒で適当にくるまって寝ることに。道中は通信環境が不安定なせいかスマホのバッテリーが結構な勢いで減ってしまい焦りました。持っててよかったモバイルバッテリー。せっかく宿の人が持たせてくれたパン類もこの姿勢では食べられない。また、空調も無いため結構暑い。かなり暑い。途中トイレに行くために車両を突っ切りましたが満員状態でカオス。いや、インドの寝台列車に比べればこれぐらいきっとかわいいものに違いないと自分に言い聞かせました。インドの寝台列車乗ったことないけど。なかなかの苦行な7時間でした。


やっとブハラ到着。ぼったくられずに事を乗り切る自信がゼロなので、事前に手配をお願いしておいたタクシーで宿へ。BGMは何故かABBA。沈黙に耐えられず、かろうじて知ってるロシア語でハラショームジカハラショー(適当)と時々合いの手を入れているうちに到着しました。オープン間もない小さなホテルで旧市街メインエリアから歩いてすぐの好立地。夜になると静まりかえっていたヒヴァに比べると、ブハラは土産物屋やレストランもまだまだ開いていて人通りも多く、だいぶ華やかな感じです。


今夜はトルコからのゲストからのふるまいターキッシュ・シャシリク(つまりはトルコのシシカバブシャシリクは旧ソビエト圏で広く食べられている肉の串焼き)が食べられるよと言われ屋上テラスに行ってみると、テーブルにはシシカバブ、サラダ、パン、お茶がきれいに並べられており、これ無料でいいの⁉︎ しかも食べ終わるとおかわりがすぐに盛られてわんこシシカバブ状態。列車移動の疲れを癒す思わぬご褒美に大満足の1日の締めとなりました。写真はテラスからの眺めです。最高。

 

明けて翌日。徒歩でまわるのに距離感がわからなかったので、途中見かけた観光案内所で聞いてみました。
私「イスマーニ・サーマーニー廟まで歩いてどれぐらいですか?」
観「ノォーーー! めっちゃ遠いですよ! 歩くなんて無理無理無理! タクシーツアーどうですか? 紹介しますよ! ◯◯◯◯スムですよ!」
→ 結論:歩けました。確かに結構な距離ですが、普段からよく歩いてる元気な人ならば問題ないかと。あんなに押しの強い観光案内所は初めてだったので、間違えて違うところに足を踏み入れたのではないかと看板を二度見しました。
何世紀にもわたって破壊と再建を繰り返してきたという広大なアーク城からスタートし、小さな池のほとりに建つ憩いの場ボロハウズ・モスク(“ハウズ”は池の意味だとか)、旧約聖書に由来をもつチャシマ・アイユブを経てイスマイール・サーマーニー廟へ。

アーク城前で見かけたウズベキス隊。

1920年ソ連赤軍に砲撃を受けたモスク跡。

ところ変われどやることは同じ。


シックなのに華やかでお気に入りモスク上位ランクイン。

イスマイール・サーマーニー廟。小さいけど中央アジアに現存する最古のイスラム建築だそうです。この石組みの美しさよ。


不思議と似ているナンとマンホール。

 

ここまで来たらあとは引き返すだけ。チャシマ・アイユブのすぐ側にある観光客向けっぽくないバザールや道端にゆるい感じに並べられたおみやげをひやかしながら歩きます。中心部まで戻ってきたのでまずは腹ごしらえ。喉が渇き過ぎてビールをマッハの勢いで飲み干したあとの、

ラグマン。大根らしきものも入っていて、まさにウズベキスタン版しっぽくうどん。讃岐人大歓喜。ただ、ここのはパクチーがちょっと多過ぎでした。

午後の部再開。Googleマップに導かれて、住宅街を突っ切ってチョルミナル(写真奥に見える4本のミナレットが特徴の門楼)へ。帰りは大通りから戻りましたが、家々を眺めながら歩けるこちらの住宅街ルートの方が断然おすすめです。余談ですがウズベキスタンを旅行中、店名に「Minor」と付くのをよく見かけてなんで“マイナー”って単語が人気なんだろうと思っていたら、Minorがミナル(ミナレット:尖塔)であるということを今初めて知りました。チョルミナル向かいのアンティークショップはとてもおすすめです。

このモスクワ五輪キャラクターのこぐまのミーシャがほしかったけど、値段を聞いたら1万円超えでした。ウズベキスタン、値札という概念が無いのかこのお店でもどこのお土産屋さんでもいちいち聞かないと値段がわからなかったのがちょっと面倒でした。
中心地に戻ります。目指すはラビハウズ。

途中見かけた靴の修理屋さんのディスプレイが好きだ。

ブハラ旧市街の中心地ラビハウズ。さすがの賑わいでここから宿へ戻る道中にはお土産屋さんも多く、ついキョロキョロしてしまう。そして売り子さん皆押しが強い。断るだけで結構な疲労感。

そんな中見つけたフォトギャラリー。話しかけられることもなく鑑賞できて、おみやげにぴったりのポストカードや手作りの鳥笛などをじっくり選ぶことができました。

雨が降ったらどうするのだろうと、見かける度に考えてしまう。

夜は宿のスタッフが絶対おすすめ! というレストランに行ってみました。中心地は観光地価格で高いからローカルレストランに行くべきだ、と主張されましたがかなり離れた場所にありタクシーの往復料金を考えたら特にお得ではなかったような。ただ、シャシリク(もちろん羊をチョイス)もマンティ(写真の巨大茹で餃子みたいなの。クミン風味 with ヨーグルト)も確かに美味しかった! 私と同じようにあちこちの宿から送り込まれたのか、所在無さげにしている一人旅らしき欧米人ツーリストが点々とあちこちのテーブルにいたのが印象的。

レシートがそこにあるのは定位置なのか。

食事の帰りはラビハウズ周辺で降ろしてもらって、再び散策。暗くなってもやはり賑やか。ストリートミュージシャンもいたりして、上機嫌で宿まで戻り、いい1日だったと眠りにつきました。

が。

深夜猛烈な胃痛と吐き気に襲われ、持参の胃薬を飲んでも治らない。お腹もゆるくて何度もベッドとトイレを往復し、とうとう眠れないまま朝を迎えてしまいました。その日は次の街に移動の予定でしたが、起き上がることもままならないのでベッドからメールで宿の人に延泊をお願いすることに。心配して持ってきてくれた朝食にも手をつけられない私を見て(というかたぶんすっぴんでボロボロの私が本当にやばかったのだと思う)、なんと救急車を呼んでくれました。旅行保険に入っているとはいえ、今私現金持ってない! とかなりあせったのですが、呼んでくれたものは仕方ない。覚悟を決めて待つ事しばし。

3名の女性医療スタッフが到着し、病院へ行くのかと思ったらその場で診察。熱が8度5分以上あり(懐かしの水銀体温計)血圧が異常に低いと言われ、男性スタッフを部屋の外に出したと思ったら注射をプスプスプスっと打ってくれました。お尻に3本。差し出されたスマホGoogle翻訳の画面には「おそらく風邪です」、続いて「そしてあなたはたくさん食べることを要求しすぎました」と書かれていました。反論の余地なし。「今日はずっとベッドにいて熱いお湯を飲んでください」と念押しして帰って行かれました。驚いたのが、こちら無料とのこと。国のそういうサービスだと宿の人は言っていましたが、お互い拙い英語での会話なので詳細不明。いずれにせよ、宿の皆さんにも医療サービスの方たちにも大変お世話になってしまいました。みんなやさしい。せっかく用意してくれた夕食もパンチがありすぎてまったく食べられず、今でも心から申し訳なく思っております。ブハラのどこかで不義理な日本人の話が語り継がれていたらそれは私です。すみません。

買ってきてくれた胃薬と吐き気どめと解熱剤。さすがに代金払いました。